【ひと味違う沖縄の葬送事情】弔い方に正解はあるのか?先祖供養とは?【番外編】 みんな、終活一年生

【ひと味違う沖縄の葬送事情】弔い方に正解はあるのか?先祖供養とは?【番外編】

こんにちは。終活プロデューサー(終活P)の池原充子です。沖縄の葬送事情を【前編】【後編】に渡ってお話してきましたが、今回は、【番外編】。

沖縄県伊是名島(いぜなじま)の伊是名村ふれあい民俗館(民俗資料館)で見た葬送品と驚きの考察(!)が登場します(写真撮影許可いただいています)。

沖縄の葬送事情をざっくりまとめると、

  1. 沖縄のお墓は亀甲墓(かめこうばか)。古墳かと思うぐらいの大きさ
  2. 仏壇は、どちらかと言うと、神棚っぽい
  3. 仏教色はほぼないが、戒名はいただいている
  4. ご先祖様は、神よりも仏よりも大切にすべき精霊的存在
  5. 教、宗、派を越えて、いいと思ったものを取り入れるチャンプルー文化

といった感じでしょうか。あくまで私見ですので、ご了承を。

【前編】【後編】では先祖崇拝と書いてきましたが、いくつかの文献を見ると、 祖先崇拝(そせんすうはい) が正しいようなので、これ以降、祖先崇拝と書きますね。 資料館でまず目に飛び込んできたのは、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壺。

青丸で囲んだ厨子甕は、シーサー(獅子、魔除け)を型取どった立派なもので、

(厨子甕と呼ばれる高さ1m以上ある大きな骨壺。この蓋の裏に戒名が書かれているらしい。)

現世では質素に暮らしていたけれど、あの世では、王様の様に立派な御殿で豪華に暮らして欲しい。という家族の切なる願いなのだそう。

この厨子甕(ずしがめ)には、亡くなってすぐのご遺骨を入れるのではなく、七回忌で、骨を洗ってから、厨子甕(ずしがめ)に納めます。(注1)ということは、それまでご遺体はどうなってるのか?

なんと、棺のままお墓の中で骨になるまで安置するのだそうです。 (だから、あんなにお墓がデカいのか!) ちなみに、伊是名島(いぜなじま)ではもう洗骨のような儀式は行われておらず、火葬後すぐ骨壺に納骨します。洗骨は、火葬場がなかった時代のお話、とはいえ、昭和前半の頃だそうです。

龕(がん)と酷似した葬送が、イスラエルにあった?!

かつて伊是名島(いぜなじま)では、人がお亡くなりになると、棺に入れて、下の写真のような神輿(龕(がん))

龕(がん)と呼ばれる神輿。表には、蓮(はす)の花の絵が描かれていて、仏教を連想させる。 に載せてお墓の前まで運び、亀甲墓(かめこうばか)の中でご遺体が骨になるまで安置していました。)

(亀甲墓。棺そのままを安置するスペースが必要だからこれほど大きなお墓になったのか?)

そして死後数年(主に七回忌)が過ぎると、ご遺体を墓庭(墓の前)に出してご遺骨を洗い、厨子甕(ずしがめ)に納めます。

三十三回忌を迎えると、弔い上げとして、ご先祖様のご遺骨と一緒の甕(かめ)に納めて合葬するのだそうです。 墓の前がとても広いのは、洗骨のような大切な儀式を行うためだったのですね。

いくら沖縄県民が朗らかだとは言え、清明祭(しーみー)のとき、一族郎党がお墓の前で飲み食いする目的だけではなかったようです。 この、沖縄の龕(がん)について、とても面白い考察がありました。

沖縄宮古島の牧師、みっちょんさんのブログで、

この龕(ガン)と古代イスラエルの「契約の箱」とが、非常に良く似ているのである。「契約の箱」とは、映画『レイダース/失われたアーク』で有名になったが、アークと呼ばれる神聖な箱のことである。この「契約の箱」は、今なお行方不明であり、失われたままである。

(龕(ガン)と契約の箱 みっちょんさんのブログより)

龕(ガン)のルーツは、神社の御神輿だという方もいると思う。実は、その御神輿のルーツも、イスラエルの「契約の箱」と言われているのである。ユダヤ教のラビ(教師)、マーヴィン・トケイヤー氏は、その著書『日本・ユダヤ封印の古代史』の中で、「契約の箱は……ちょうど日本の神社の御神輿のような形である。……契約の箱と御神輿は、大きさも大体同じであり、目的も同様であった。それは両方とも、移動式神殿の役目を果たしていた。……世界中どこを探しても、契約の箱にこれほどよく似ているものを持っている所は、日本以外にはないであろう。」と語っている。

(龕(ガン)と契約の箱 みっちょんさんのブログより)

一見結びつきがなさそうなイスラエルと沖縄。どこのものであろうと、いいと思うものはどんどん取り入れて独自の文化を作り出してきたのでは?と思っていたら、なんと、こんな論文を発見。

ユタはそもそも、仏教を初め、神道や本土の民間信仰や水子供養、ニューエージ的言説など、使えるものは何でも使うという「ブリコラージュ的戦略」をおこなっているものも多く (琉球・沖縄仏教研究史について 川瀬 貴也(京都府立大学)

やっぱり! 歴史的に、色んなものの良いところを取り入れてたんですね。 さすがチャンプルー(混ぜる)の文化。

仏教よりもっと長い歴史を持つシャーマンの存在

沖縄では、仏教が入ってくるずっとずっと前から、シャーマンと言われる霊能力を持つ人々、 ユタ(霊媒師)やノロ(祝女) が、祭祀や葬儀だけでなく、人々の日常生活に重要な役目を担っていました。

13世紀半ばにやっと沖縄に入ってきた仏教は、「ユタのいう先祖の話も大事だが、最終的には阿弥陀に救ってもらうという教えを教える」 (琉球・沖縄仏教研究史について 川瀬 貴也(京都府立大学))

今までの慣習も尊重しながら、仏教の教えも広めていくという方法で、葬儀でお経を唱える、戒名をいただくという儀式が徐々に浸透していったようです。 しかしユタから見れば、まさに「仕事(葬式、法事、人生相談など)」を僧侶に奪われた状況であるので、ユタと僧侶は宗教的領域をめぐって相克の状況にある。

ユタは「反撃」の1つとして、僧侶よりも自分たちユタの方が「霊異が高い(セジダカ)」ことを強調している。口寄せやカミダーリの治療など、僧侶がカヴァーできない領域で生き残りをかけているのである。

これも一種の「棲み分け」戦略であるとは言えよう。 (琉球・沖縄仏教研究史について 川瀬 貴也(京都府立大学)) まるで、侵略者に追われてどんどん内陸へ追いやられたアメリカ先住民のようですが、 元々あるものを敬いつつ、新しいものを取り入れていく という姿勢は、宗教に限らず、何をするうえでも必要なのではないかと思います。

いまだに迷信がたくさんある沖縄では、 善し悪しは別として、沖縄では何か悩み事や困り事、病気が発生すると「これは御願不足(ウグワンブスク)のためである」と言われる。この考えは根深く、どんなに識者が「それは迷信です!」と声高に叫んでも一向に消滅する気配を見せない概念である。

(先祖のたたりと御願 琉球文化の精神分析2 又吉正治著)

つまり、「御願不足」=「先祖の祟り」は迷信ではない(注2)という根強い考えがあるんですね。ここは、かなり深いお話だと思うので、もっと勉強してから書こうと思います。

3回に分けて沖縄の葬送事情をご紹介してきましたが、弔いの原点は、 大切な人があの世で幸せに暮らせますようにという切なる願いで、教、宗、派を越えて、 良いと思ったことをする に尽きるのではないかと。

沖縄に限らず、どのように弔えばいいのか?と迷っている方は、「どうすれば大切な人が幸せになるだろうか?」を考えながら 「できることをできる範囲で」 やっていくのがいいのではないでしょうか?

【参考文献】

  • 注1:沖縄の迷信 P.110 名幸芳章著 月刊沖縄社発行
  • 琉球・沖縄仏教研究史について 川瀬 貴也(京都府立大学)
  • 龕(ガン)と契約の箱 沖縄宮古島の牧師みっちょん
  • 注2:先祖のたたりと御願 琉球文化の精神分析2 P.130 又吉正治著 月刊沖縄社発行

葬儀もお墓も、できることをできる範囲でやるのがベスト。そのためには、元気で笑って話せるうちに考えておくと、いざという時、ホント助かりますよ。「終わりを意識して生きる」ことが大切!

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