静岡県のお墓・霊園一覧

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(静岡県)
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- 磐田市 加茂西霊園
- 浜松市営 中沢墓苑
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- 磐田市営 竜愛霊園
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- 浜松市営 舞阪吹上墓地
- 袋井市 夢の丘墓園
- 掛川市営 富士見台霊園
- 裾野市営墓地
- 浜松市営 細江高台墓地
- 浜松市営 船明墓地
- 浜松市営 雄踏墓地(1号区及び2号区)
- 富士宮市営 朝霧霊園
- 浜松市営 三方原墓園
- 富士市森林墓園
- 伊東市営 天城霊園
※上の地図は、静岡県のみの霊園・お墓が表示されています。
静岡県のおすすめの霊園

浜松市営 中沢墓苑 静岡県浜松市中区中沢町5番
静岡県浜松市が運営母体の公営霊園です。浜松市民のための公営霊園ですので、宗教や宗旨が不問となっております。公園が隣接しており、子供連れでもお墓参りが出来ます。


磐田市 加茂西霊園 静岡県磐田市加茂1149
清潔管理が行き届いている綺麗な霊園
磐田市営加茂西霊園はバリアフリーを取り入れた、足腰の悪い人でも安心してお参りが出来る公営霊園で緑に囲まれた霊園です。

富士宮市営 朝霧霊園 静岡県富士宮市上井出2734-3
西富士道路上井出インターを降りて5分程の場所にあります。富士山を近くに望み四季折々の風景はお参りに来る人を和ませます。参道はすべて芝生が張られており管理も十分に行き届いています。

伊東市営 天城霊園 静岡県伊東市八幡野字上野1758番地の174
豊かな緑に囲まれて、先祖の霊の眠る静寂な環境を保持した霊園です。多くの参拝者に喜んでもらえるよう公園霊園として整備を進めています。公営霊園では珍しく市外在住者の使用も認められています。

浜松市営 三方原墓園 静岡県浜松市北区根洗町784
日本庭園や多目的広場、芝生広場が設けられ、開放された墓地公園。浜松市三方原墓園・浜松市納骨堂はJR浜松駅(中心市街地)より北に約12.5kmの三方原台地に位置する田園地帯にあり、戦国時代には徳川家康と武田信玄が戦った古戦場でもある。

浜松市営 船明墓地 静岡県浜松市天竜区船明2065
平成28年4月1日より、焼骨をお持ちでない方、浜松市外にお住まいの方も申し込みできるようになりました。申込者数が貸付予定区画に達した場合、貸付は終了となります。区画の場所は申込順となります(場所を選ぶことはできない)碑石等の設置は、利用許可後1年以内に行っていただきます。

富士市森林墓園 静岡県富士市桑崎991番地11
富士市桑崎にある富士市が管理する市営霊園。霊峰富士の裾野、緑の森に囲まれた閑静な場所にあり見上げれば間近に富士山が臨める雄大な公園墓地。自然に囲まれたい富士山に見守られたいという方には絶好の場所。普通墓地と芝生墓地の2種類から選べる。

裾野市営墓地 静岡県裾野市深良4066番地
市民の要望でできた富士山の見える霊園です!裾野市の深良(ふから)、深良中学校の高台に2000区画の市営墓地ができました。富士山の眺めは素晴らしく、永代使用料は安価に設定されています。
静岡県の概況
静岡県は、本州中部の太平洋沿岸に位置しており、富士山をシンボルとしています。2018年9月1日現在の人口は3,757,967人で、県の花はツツジ、県の木はキンモクセイ、県の鳥はサンコウチョウです。明治2年、新政府により地名変更を命じられ、藩内で検討した結果「静、静岡、静城」の3つを提案し、静岡が選ばれました。「しず」という言葉は、静岡市葵区にある賤機(しずはた)山が由来といわれています。
静岡県の地理
静岡県には太平洋に流れる大井川、天竜川、富士川などの大きな川があり、日本で最も深いとされる駿河湾では海産物が豊富に獲れます。静岡の北側は日本で最も標高の高い山である富士山があり、南アルプスと呼ばれる3000m級の山々が連なる山岳地帯となっています。また、東側の伊豆半島には複雑に入り組んだリアス式海岸が広がり、北東側にかけては富士山火山帯に属しているため、有名な温泉がたくさんあります。
静岡県の名所・旧跡
富士山のある静岡には多くの名所があります。国立公園内にある白糸の滝、全国に約1,300社ある浅間神社の総本社である富士山本宮浅間大社、5万4000本の松林が並び雄大な富士山を望むことができる三保の松原、ハイキングコースとしても利用されています。また、2019年にはエコパスタジアムでラグビーワールドカップ、2020年には日本サイクルスポーツセンターで東京オリンピック開催地の一つとなっています。
静岡県の歴史
戦国時代に静岡であったとされる駿河や遠江、三河は今川家が支配していました。東海地方で最も大きな勢力を持っており、中でも11代目当主の今川義元は全国的に有名です。義元は織田信長の治める尾張への攻略を考えていましたが、四方を敵に囲まれたままは戦略上難しいと考え、自身が中心となり武田家と北条家の間で1554年に甲相駿三国同盟を結びました。ちなみに、甲斐・相模・駿河の頭文字から名付けられたとされています。
