【畳の上で死にたい】は、無理ゲー?!「自宅で最期を迎える準備のすべて」を読めば望みは叶う!みんな、終活一年生

【畳の上で死にたい】は、無理ゲー?!「自宅で最期を迎える準備のすべて」を読めば望みは叶う!

こんにちは。終活プロデューサー(終活P)の池原充子です。昔は自宅で最期を迎えるのが当たり前だったのに、1976年から、病院で亡くなる方の数が逆転しました。自宅で最期を迎えるって、そんなに難しい事なんでしょうか?そんな疑問をズバッと解決してくれるのが、この本【自宅で最期を迎える準備のすべて(著:大軒愛美)

タイトル通り、

  • 自宅で最期を迎えたいと考えている人
  • 自宅で看取りたいと思っている家族

のためのとても実務的な本で、実例やかかる費用も満載で、めっちゃわかりやすい!一気に読んでしまいました。健康に支障がないと、自分の死、家族の死まで考えが及ばないかもしれない。だけど、確実にやってくる未来。

知ってると知らないでは、恐ろしいほどの差が出ます。 在宅死を考えている人も、そうでない人も、 「最後をどこで迎えるか」を考えたくなる本です。

著者の大軒愛美さんは、 実父を事故で突然亡くした遺族として 医療のプロの看護師として 看取りのプロの看取り士として どちらの立場にも偏ることなく(これが素晴らしい) 「在宅死」に必要な情報が、すべて紹介されています。

家族と本人のための必携在宅死入門書(ガイドブック的な?)ですね。 衝撃的だったのは、病院で亡くなる場合と家で亡くなる場合では、かかる費用も約10倍違う。「知らなかった」で、すまされない差だと思いませんか? 何より違うのは、自由度。

在宅なら、入院しているときのように、検査や診察などの時間に縛られず、最後まで自分の好きなように過ごすことができる。 終末期の自由度は、健康な時の自由度とは、重みが違うのは、言わなくても想像できますよね?

自分にとっても家族にとっても、満足度や後悔の度合いが全く違う。これは、没後のグリーフケアにも大きく関わってきます。 例えば、看取り。 最後の瞬間に立ち会えなかった家族の落胆と後悔は、非常に大きい。

だから、「病院なら大丈夫だろう」とお任せします。でも、医者も看護師も非常に忙しく、患者一人一人にさける時間は、ほんのわずか。誰にも見送られることなく最期を迎える「病院内孤独死」も少なくないという事実、ご存知でしたか?

さらに著者は、QOL(クオリティ・オブ・ライフ、生活の質)の弊害についても言及。

生活の質を追い求めた治療は、 生きることを最重視する治療となってしまい、合併症や死ぬことに対する意識や関心を寄せていない。結果、なんの準備もないまま最期を迎えることになり、自分らしい死をむかえることができないという皮肉なことが、現実に起きている。

QOLとQOD(クオリティ・オブ・デス、死の質)は、 同列に議論されるものであるはずなのに、別々に捉えられている弊害。 その人にとっての自分らしい生活、 本来であれば「安らかな死」も 「その人にとっての自分らしい生活」の一部であるはず。という筆者の見解に、大いに納得しました。

在宅死で大切な事は、全部を自分たち家族でやろうとはせずに、周囲の力を借りること。 在宅死を迎えるために、なにより必要なのは、家族の笑顔。これ、心に響きますよね~。

最後だから何でも願いを叶えてあげよう、と気負いすぎて、いつの間にか笑顔が消えている。真面目な人ほど陥りやすい盲点です。

なので著者は、「相手がして欲しいこと」で「自分自身ができる最良のこと」をやれば大丈夫。家族は自分自身の生活を犠牲にしないサポートを目指しましょう。と訴えています。

家で最期を迎えるということは、本人、家族、サポートする人々が団結してこそ。在宅死は、チーム戦であり情報戦なのだと思います。自分の最期ぐらい、自分で選びたい。それは、わがままでも何でもない、自然なことです。 でも、選ぶためには、基準となる情報が必要。

そのためには、自分もいつか死ぬんだ、ということを自分事として受け止めることが、まず必要だと思います。 そして、自分の思いは、家族と共有すること。黙ってると誰も何もわかりませんよ!

話すのは苦手、という方は、エンディングノートに書いておきませんか?書いたエンディングノートは、「ここに置いてあるよ」とわかりやすいところに保管するのがおススメです

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